日本経済新聞社グループで金融・経済情報サービスを提供する株式会社QUICKは、日本で初となるアート指数を開発した。このアート指数は、アート関連業界のみならず金融業界等での利用を目指すものである。本稿ではその背景と意義、今後の展望を述べる。
本稿は以下の章立てになっている。
1. はじめに
2. アートを購入することで得られる価値とは
3. 「指数」とは何か?
4. アート指数が映し出すアート市場の全体像
5. アート指数の活用場面
6. 海外のアート市場におけるアート指数の事例
7. アート指数の登場による日本のアート市場の展望
8. おわりに
図1のチャートは今回構想したアート指数であり、国際的なオークション取引約36万件のデータから算出している。グローバルなアート指数であるため、本稿では「QUICK世界アートオークション指数」と呼ぶ。このような指数は、アート市場の醸成に欠かせないと考えている。日本のアート市場は販売者と購入者の情報の非対称性が大きく、アート指数はその課題を解決できる可能性を秘めているからだ。海外のように売買の指標となる指数があれば、購入者にも情報が行き届き、アート売買が活性化する可能性が高まると考える。
本稿ではこの問題意識の下、昨年度試作した結果を踏まえ、アート売買に利用可能なアート指数を提案する。これはアート価格がデータという切り口から分析可能であるということを意味する。これにより、アート指数を参考にアート作品を購入したり、他の金融資産と比較して扱えるという変化が生じるだろう。富裕層であれば資産防衛のためにアート作品を保有したり、広く人々がアートファンドの形で間接的にアート作品を所有することも可能となるはずである。現時点でアート指数は開発段階のため、今後はこのような将来を目指し、実用化に向けた検証を進めていく。
1. はじめに
日本はその経済規模に対して、アート市場の規模がまだまだ小さいと言われている。2021年の世界のアート市場で日本は「その他」の8%に含まれる状態であり、約43%の米国、約20%の中国、約17%の英国と比較して大きな差がある(2022年、Art Basel and UBS「The Art Market 2022」)。また、世界のトップコレクターとみなされている日本人は限定的であり、ARTnews誌のTOP 200 COLLECTORS(2022年7月時点)¹ では、日本人コレクターはわずか3名にすぎない。これらの原因は様々だが、我々はアート市場における過度な「情報の非対称性」が価格形成過程(プライシング)の不透明性を生み、アート市場の成長を阻害しているのではないだろうか。このプライシングの不透明性という課題が解決されることで、人々は消費財として、適正な価格でアートを購入するのみならず、資産として、アートを長期保有するという選択肢を得られるはずである。これは、消費者保護の側面だけでなく、国富になり得るアートを良好な保全状態で、民間で維持することが可能になるという文化財保護の側面も大きい。
では、プライシングの不透明性という課題を解決し、誰もが直観的に理解できる方法とは何だろうか。我々は、アートの売買に適した指標があることが一つの解であると考える。よって本稿では、その指標の内容と作成プロセスを金融システムにおける知見を援用しながら検討する。
さらにこのような指標算出システムが実現した場合には、アートファンドやアートファイナンスという手法への応用も可能である。こうした新たなコンセプトも本稿で提示したい。
1 ARTnews. “TOP 200 COLLECTORS”. https://www.artnews.com/art-collectors/top-200-profiles/?filter_top200year=2022
偶然出会ったアートを衝動的に購入する。もちろんこれこそがアート購入の醍醐味であるし、その作品との長い付き合いの始まりでもある。それがポストカードでも30号の大型作品でも良く、このプロセスは否定されるものではない。
一方で、多くのアート作品を保有するコレクターは富裕層であることが多く、衝動的な出会いとは違った視点から購入行動をすることも多い。それは消費と価値(将来的な価格も含む)を常に分別して購入行動をする傾向が強いということだ。例えば今100万円の価格がついたアート作品があれば、それは過去から現在に続く100万円分の価値の変遷があると言える。換言すれば、富裕層であるアートコレクターは、「目の前の作品が、将来どれくらいの価値であると評価されるのか」を考えて購入行動をするということである。
また、アート作品の経済学的な財としての特徴は、摩耗資産ではなく長期的に減価しづらいということが言える。実際に我々は数百年前から存在し、価値を保っている(あるいは価値が増大している)絵画が存在することを知っている。その一方でアート作品には「価格が変動しやすく、変動幅も大きくなることが多い」、「一定価格以下のアート作品の場合、流動性がほとんどない」といった特性もある。このことからアートを資産として保有する場合には、特定の条件に適う作品群の中から候補を選び、その中で自身のインスピレーションに最も合う作品に決める行動が合理的だと考える。
アートを資産として扱い、購入対象のアート作品を決める場合、単なる作品の良し悪しでは評価することができない。あくまでも、バリューメジャー(経済的価値尺度)で判断すべきである。美術史的評価とバリューメジャーが一致しないことは往々にしてある。
バリューメジャーの観点からの評価もそうだが、一般に「評価」は「分析」というプロセスを経て行きつくものである。そして、分析の要素とは基本的に「比較」である。だとすれば、アート作品の「分析」には「比較」するための、可視化された定量的な時系列データが必要である。
しかし、アート作品の取引は膨大であり、作品のジャンルも細かく分かれている。アート作品の取引は、ある作品の取引が数十年間存在しないなどという流動性の問題があり、さらには数万円の版画から数十億円の油絵まで、幅広い価格帯の分布が存在するという特徴を持つ。このような取引頻度や扱う価格幅のハードルにより、個別の作品単位で時系列の分析をすることは難しい。また、アート作品は不動産のように、同じものが2つと存在しない「1点もの」の資産であることに大きな特徴がある。このあたりが債券や株式のような有価証券と異なり、実物資産であるアート作品を分析する難しさである。そこで我々が提案するのは、アートを売買するときに、誰もが直観的にアート作品をバリュエーション(経済価値評価)できる「アート指数」だ。
本稿において重視するのは、アート売買の判断基準になり得る指数であり、その作成プロセスである。よって、まずはアート売買の判断基準の要件とは何か、それを整理する必要がある。この場合における不可欠な情報とは、アート市場全体の状況を把握できる情報である。一般消費財であればいわゆる「相場観」、株式市場で言えば「日経平均株価」などにあたるものだ。
しかし、アートの場合、「相場観」を把握することが難しい。そもそもアーティストがアートを直売することはまだまだ珍しく、アーティストと購入者の間に画廊(ギャラリー)やデパートなどの仲介者が介在することが一般的だ。仲介者からの価格は明示されていることもあれば、明示されておらず相対による提示の場合も多い。要するに1物1価ではなく1物に対して2つ、3つの価格であることもある。ある人に提示する価格と別の人に提示する価格が違うということも珍しくないのである。それに加えて、極僅かなケースを除き作家から仲介者への卸価格は公開されることはない上、アートの販売価格に関する全ての情報を入手することは実質的に不可能なのである。
一般的な価格情報について、いくつか例を示そう。例えば株式のような有価証券は、発行時の価格、いわゆる「プライマリー価格」は一般的には公開されるとともに、一定規模以上の購入者(投資家)であれば購入の機会が均等に与えられる。一方の流通価格、いわゆる「セカンダリー価格」の透明性は取引方法によって異なり、取引所で取引される場合は極めて高い透明性が維持される一方で、社債のようにセカンダリー市場における流動性が低いものは仲介会社である証券会社に聞かなければならない。その場合でも、有価証券は「同じものが複数存在する」という金融商品であるので、購入者は複数の証券会社に価格を聞き、適正価格を判断することが可能である。
野菜や魚、肉などの生鮮食品の場合はどうか。収穫、水揚げされた生鮮食品は、卸売業者が集まる「市場」で競りにかけられる。競りの結果は必ずしも極秘情報というわけではないが、一般的には消費者に知らされることはない。それでも、消費者は新聞の折り込みチラシ、ネット広告、口コミ等、様々な手段を用い、複数の小売店の小売価格を知ることができ、安い小売店で購入することが可能である。小売価格を手軽に知ることができるので、そもそも卸価格を知る必要がないのである。これも、「同じものが複数存在する」という性質によるものである。
不動産の場合は、有価証券や生鮮食品などとは異なり、いわゆる「1点もの」の商品である。同一の商品が二つと存在しないだけに、購入者は「地域」「路線」や「面積」「部屋数」、「近隣の小中学校までの距離」「近隣の商業施設の有無」などの条件を手掛かりに類似する不動産の価格を取得し、購入を検討している不動産の価格の適正性を評価する。こうした購入者の行動そのものはアートの売買に相通じるものである。ただし、アートとの最大の違いは、不動産の場合は新聞の折り込み広告やネット情報、不動産業者からのダイレクトメール等を通じて価格情報が溢れていることである。また、不動産の場合は、必要な情報を事前に知ることができれば、現地に出向いて実物を目にする前に、ある程度の取捨選択ができる。
これらの「商品」に対し、アートの場合はギャラリーによる「卸価格」がほとんど公開されない。また、同一の作家による、一見すると同様の作品であっても、ギャラリーによって、あるいは世間の評価によって価格が大きく異なることも少なくない。
一方で、アートの売買に関する情報を比較的入手しやすい市場が存在する。それはオークションである。アートオークション市場は国際的に整備されており、アート作品の売却希望者と購入希望者の多くを集めている。大手のオークションハウスにもなれば1社で年間数千億円の取引残高を記録している。そして、データの多くがWeb上で公開されているのも特徴である。
オークションの価格決定のメカニズムは、需要と供給の価格が一致したところで取引が約定するという点が明確である。これは、他の財やサービスと同様、市場における価格決定のプロセスであり、「一般的な経済原理」を基礎に、「アート市場全体の状況を把握」するのに適していると考えられる。
よって、本稿では「アートオークション市場全体の経済価値を計測すること」により経済全体におけるアートの価値の増減を計測し、他の資産と比較できるようにすることを目標とする。それにより、アートの売買基準を社会に提供するという目的を達成できると考える。それを端的に表すのがアート指数ということである。
アート指数を検討するにあたって、「指数」という言葉の定義について述べておきたい。「指数」と「指標」という2つの似た言葉が存在するが、辞書では次のような説明である。
指数:統計で、物価・賃金・生産高など同種のものの時間的変動を示す数値。基準となる時点の値を100とし、百分比によって表す。
指標:物事を判断したり評価したりするための目じるしとなるもの。(出典:デジタル大辞泉(小学館))
物事を判断するためには「指標」となるものが必要であり、かつ、誰もが同じ理解を得やすいように数値で表されるよう開発されたものが「指数」であるとまとめることができるだろう。
ゆえに、指数と呼ばれるものには必ずそれによって判断できる「意味」や「価値」があるのが一般的だと言える。指数を算出する意義は、社会的価値、経済的価値、規範的価値の3つの価値の一部または全てを、理解しやすいように示すということにある。
ここでは指数について、利用場面の観点で2種類に分けて考察する。一つは取引の判断材料として利用できる指数(トレーダブル指数)で、もう一つは市場の動向など全体を把握するためのトレーダブルではない指数(リファレンス指数)だ。
前者は主に金融市場で使われる指数が挙げられる。例えば、日経平均株価やNYダウがある。どちらも実際の取引対象である株式という資産で構成され、統計的な処理で算出されている。そのため、該当の資産の売買時に判断材料となる指標である。他の資産についても同様に、実際の取引対象のみのデータで算出されている場合はこれに該当する。つまり、取引に関する指標としてこの指数は活用できるため、トレーダブル指数と呼ぶことができる。
後者は売買取引の対象になるかどうかに関わらず、対象の全てを把握するためのデータを使い、算出された指数である。取引対象になる資産だけに限定して算出しているわけではない。例えば、GDPのような統計指数が該当する。この場合、対象データの全体の状況を確認することに使用できるため、「参照」を意味するリファレンス指数と呼べる。しかし、トレーダブル指数のように実際の取引で売買を判断する材料にはできない。あくまで、全体の状況を確認する用途に留まる。
ここからは、アート指数のデータの抽出元となるアートオークション市場(二次流通市場)がどのような特徴の市場であるのかを述べ、これまで発行したレポートにおいて構想した指数の課題と、今回検討する指数の可能性を考察していく。
アート市場は、最初に作品が売買されるプライマリー市場(一次流通市場)と、2回目以降に売買が行われるセカンダリー市場に分けられる。基本的にアートオークション市場では2回目以降の売買の作品が流通しているため、セカンダリー市場に該当する。本来、各作品の価格を適切に評価し、かつアート価格の全体の傾向を把握するのであれば、プライマリー市場とセカンダリー市場の双方のデータを集めて分析する必要がある。しかし、アート市場は「情報の非対称性」が非常に強く、基本的に公開されているデータはアートオークション市場のものに限られる。プライマリー市場の情報が不足していることは課題であるが、一方で、セカンダリー市場に流通する作品は何度も売買される可能性が高いと言え、資産として重要な要素である流動性も期待できる。
また、アートオークション市場は他の分野のオークション(競り)と同様、需要と供給の価格一致で取引が約定する。つまり、「一般的な経済原理」の働く市場のため、市場を把握するための経済学的な取引条件を満たしていると考えられる。それは、他の財と同じ条件を持っているため、金融商品、不動産、地金等といった他のアセットクラスの資産との比較が可能である。
過去発行した「日本のアート産業に関する市場レポート 2020」(アート東京/QUICK)では、1990年に日本で初めて常設のアートオークション市場が成立してからの30年間のデータを分析した。その結果、現代アートのジャンルに含まれる作品の価格の伸びが見られた半面、日本画や日本洋画という国内のみに需要のあるジャンルの作品は低調な傾向が見られる、などの特徴があらわれた。これは、アート市場に詳しい専門家の実感にも合う結果であり、アート市場もデータを使った分析が有用で、欠かせない取り組みであると確認することができた。
翌年の「日本のアート産業に関する市場調査 2021」(エートーキョー/QUICK)では、2020年の分析結果に基づきアート指数を試作した。先述したように、アートオークション市場は他の財と同様に経済原理が働く市場であるため、アートと他のアセットクラスの資産との比較が理論上可能である。ただし、それぞれが扱うデータの単位や尺度が異なるため、指数にしてスコア化し、単位や尺度を揃える必要があった。アート指数の作成プロセスは以下の通りである。
●総売買代金の9割以上を占める売買代金上位 50%の作家の作品のデータに絞る。
●各作品のジャンルに着目し、国内のみで取引されているジャンルか、国際的に取引されているジャンルかで分類する。
このような算出処理を行った結果、国際的に取引のある 「Contemporary Art」と「Foreign Art」のパフォーマンスが良く、特に 「Contemporary Art」は上昇傾向が見られた。一方、「Domestic Art」は長期にわたり低調であることが判明した。つまり、前年の「日本のアート産業に関する市場レポート 2020」で分析した結果と同様の傾向が見られたため、試作した指数はアート市場を概観できるものとなっていたと言える。
また、指数化したことにより既存の金融商品との比較が可能になったため、S&P500やTOPIX、米国債、金などと比較して、共通点と相違点を考察した。例えば米国を代表する世界的な株価指数の一つであるS&P500は「Contemporary Art」と強い正の相関が見られ、「Contemporary Art」に含まれる作品は国際的に取引される資産と同様の値動きをすることが分かった。また、金(NYMEX Gold)と比較したところ、「Domestic Art」とは強い負の相関が見られた。
試作したアート指数では、市場全体の把握だけでなく、他の財との比較が可能になった一方、課題も発見された。具体的には、算出期間の短さがある。アートは一度売買すると数年、数十年市場に出てこないことが多いため、指数も長期間のデータを対象にしていないと、実際の取引には使用できない。また、市場に出回りづらい資産である点を解決するため、「もしもその作品が現在の市場に出たらいくらで落札されるのか」という数理的な考慮が欠かせない。
「日本のアート産業に関する市場調査 2021」での試作版アート指数において課題となっていた算出期間の短さに関しては、対象とするデータを海外のオークションハウスのものにすることで解決できる。例えば、日本のアートオークションよりも歴史が長く、取引も活発なクリスティーズやサザビーズといった国際的な老舗のオークションハウスのデータを使うことが考えられる。
また、「日本のアート産業に関する市場調査2021」では同時期に取引された作品群の平均落札価格を算出して指数化したが、この手法では流動性を考慮できていない。仮に、ある特定のアート作品が(実際には取引のなかった)ある特定の時点で取引された場合はどのくらいの価格を付けるかを推定することはできないため、今回はその点について「ヘドニック・アプローチ」を採用する。
ヘドニック・アプローチとは、価格を様々な性能や機能の価値の集合体(属性の束)とみなし、回帰分析を利用してその価格を推定する方法である² 。 不動産価格の推定に使われているが、アートの価格も作家名やサイズなどの要素で成り立っているため、この方法を利用できると考えられる。実際には要素をパラメータとして方程式で表すことができ、これをヘドニック・モデルと呼ぶ。このモデルを使えば、パラメータの組み合わせで価格を推定できるため、本当は取引がなかったとしても、決まった時点の推定価格を算出できる。
例えば年次で指数を算出する場合、可能なパラメータの組み合わせで推定価格を全て出し、平均値を出してその年の値とする。その上で、統計的に処理を行い、スコア化すれば指数として扱える。詳細については具体的なデータを使った試作が必要だが、今回の考察では、このような設計案を提示する。この指数を使うことで、理論上は「価格が推定されたアート作品」で構成されるファンドを組成可能だ。
² 唐渡広志. ヘドニック・アプローチを利用した不動産価格指数の推定方法とその問題点.
都市住宅学. 2016年, 92号, p17
ここまでで設計の概要を示したアート指数は取引時に使用できるトレーダブル指数を目指している。そのため、今回構想するアート指数は、「アートトレーダブル指数」と呼ぶことができるだろう。
先述したように、トレーダブル指数は構成する資産の売買判断時などに活用されている。例えば、トヨタ自動車やソニーグループ、日立製作所といった株式を売買する際に、相場の参考として日経平均株価を確認する場面が挙げられる。保有している株式を売却したい場合、企業の個別の株価を確認することは必要だが、今が売却すべきタイミングかどうかは市場全体の状況を確認しないと判断できない。もし購入時よりも安い価格を付けていたとしても、相場全体が下落傾向にあれば今のうちに売った方が損失を減らせるかもしれない。企業の個別の過去データと比較して分かることも多いが、このような売買タイミングの判断には市場全体を見る指数が必要だ。そのため、日本株式売買の場面では、トレーダブル指数である日経平均株価やTOPIXが利用されることが多い。
アート指数も同様に、アートオークション市場で出品されたアート作品を買うかどうかの判断や、保有しているアート作品を売却するタイミングの判断材料として利用できるものを目指している。そもそも、日経平均株価で扱う金融資産と違い、アートは個別性の高い実物資産である。そのため、具体的な評価額は専門家に問い合わせないと分からない。その解決策として、アート作品のバリュエーションにおいて参照できるアート指数があれば、アート取引の専門家ではなくても取引の判断が可能になる。また、アート指数をベンチマーク(基準)とした金融商品の開発も可能になるだろう³ 。
³ かつてのLIBOR(ロンドン銀行間取引金利)の不正操作を教訓として、指数等の指標を金融取引のベンチマークとする場合、一般に指標の設計を含む指標運営において証券監督者国際機構(IOSCO)による『金融指標の原則』に基づくガバナンス体制の構築が必要とされている。ただし、本稿ではそのような指標や指数に関する国際規制には触れない。なお、IOSCO金融指標の原則(仮訳版)は以下の通り。
https://www.fsa.go.jp/inter/ios/20130718-1/131225_kariyaku.pdf
ファンドとは、「投資家から集めたお金を一つの大きな資金としてまとめ、運用の専門家が株式や債券などに投資・運用する商品」⁴ である。ルールに基づいて選定した資産に投資・運用する商品で、一般的には、株式や債券で構成されていることが多い。例えば、日経平均株価をベンチマークとしたファンドの場合、日経平均株価を構成する株式を同じ比率で購入することで運用しており、これにより日経平均株価と連動した投資成果を目指している。
しかし、ファンドはあくまで投資対象として管理が可能な「資産」があれば良いので、金融商品に限定されない。実際、不動産を投資対象にしたファンドである「REIT」も存在する。そのため、アート作品の中でも資産性があり、他の資産と同様に管理ができるものであれば、ファンドの投資対象になると考えられる。
ただし、市場で取引されているアート作品には流動性や価格の問題から、資産として扱えるものと扱えないものがある。資産性の定義にもよるが、例えば、所有している作品をいつでも適正価格で売却できる流動性があること、かつ年を経ても価格がある一定程度の水準は維持し得ること、という2点を要件にできよう。このように要件付けた場合、作品のジャンルや価格帯を判断条件とすることができる。例えばジャンルに関して言えば、国際的に取引されている「現代アート」はいつでも売買が可能なので、資産性のあるアート作品が存在するジャンルとして該当する。次に、価格については、制作後の時間経過に関わらず少なくとも一定程度の水準を維持するには、一般的には数百万円台かそれ以上の価格帯であることが条件となろう。
以上のように、ファンドを構成するアート作品の選定には資産性の有無が重要であり、それには流動性や価格を考慮する必要がある。以降では、この課題を踏まえながら、実際に活用されている海外のアート指数の事例を挙げ、今回構想したアート指数へ役立てられる知見を探る。
⁴ 一般社団法人投資信託協会. ”投資信託を学ぼう そもそも投資信託とは?”.
https://www.toushin.or.jp/investmenttrust/
6.1. Artprice100®
海外のアート市場では既にアート指数が存在している。今回はその中から3つの例を取り上げる。
まずは、Artprice100®だ。この指数は世界最大規模のアート情報のデータベースサービスを扱うArtmarket.com社の一部門である、Artpriceが算出している。特徴としては、価格変動の激しいアーティスト(流行や投機の価格影響を最も受けるアーティスト)を除外して、アート市場の「ブルーチップ」⁵ アーティストだけに焦点を当てた点にある。より詳しく言うと、過去5年間のオークションでのパフォーマンスが上位のアーティスト100人のうち、流動性基準(同等の品質の作品が毎年10点以上販売されていること)を満たすアーティストを特定して、各アーティストに重み付けをして指数に組み入れている。その重み付けは、該当期間の年間オークション売上高に比例させている。
Artpriceでは、Artprice100®はS&P500、FTSE100、CAC40、DAX、日経平均株価などの世界の主要株価指数に匹敵するアート市場のベンチマークであるとしている。図2は Artprice100®とS&P500を、2000年を100として比較したグラフであり、Artprice100®の方が値が大きく傾きが急であるため、優れたパフォーマンスを出していると言える。
⁵ アメリカで優良株のこと。転じて、最優良群や最優良層のことを指す。
6.2. The Sotheby’s Mei Moses Indices
次に取り上げるのは、The Sotheby’s Mei Moses Indicesである。名前の通りオークションハウスのサザビーズが算出している指数であり、2002年当時、ニューヨーク大学スターンビジネススクール教授だったMichael Moses博士とJianping Mei博士が開発し、2016年にサザビーズが買い取った。算出方法は、同じ作品の異なる2つの時点における購入価格を使用して、その作品の価値の変化を測定するものだ。購入価格の算出には、不動産の価格算出にも使われる「リピートセールス法」を採用しており、ケース・シラー不動産インデックスをベースにしている。リピートセールス法とは、同じ作品について特定の時点で販売価格の変化を比較するものである。例えば、ある絵画が2000年にオークションで売却され、2015年に再度オークションで売却された場合、2回のオークション売却があるため、リピートセールスと考えることができる。この指数を使うと、アート以外の資産やベンチマークと比較してパフォーマンスを分析したり、経済や社会情勢がアート市場に与える影響を測定したりすることができる。
サザビーズでは、この指数は世界レベルの専門知識を補完する客観的なアート市場分析ツールであるとしている。グラフで表すと、図3のようになり、1950年から上昇傾向を維持していることが分かる。
最後に紹介するのは、AMR All Art Indexである。この指数は専門家向けにチャートなどの情報を提供しているArt Market Research社が算出しており、24ヶ月間に少なくとも1作品を販売している作家のデータを対象にしている。世界130のオークション会場における24ヶ月分の売上高(バイヤーズプレミアムを除く)の加重移動平均で算出している。
この指数の活用事例は公表されていないが、他の2つと同様にファンドの組成のベンチマークや顧客である専門家の業務に利用されていると思われる。図4の通り、月次での上下動はあるが、全体的に上昇傾向であることが見て取れる。
今まで挙げた3つの指数を比較したのが、以下の表である。アート指数と言っても、対象とするデータ、算出方法、期間などは様々である。共通しているのは資産性を意識したデータの選定や算出手法を使っていることであり、本稿で構想した指数にも共通していた。そのため、今回の指数の設計案は、机上の確認に留まるものの一定の実用性があると思われる。
資産性のあるアート作品を一定の基準の下に選定して投資・運用すれば、理論上アートファンドは組成可能である。アート作品は既存の金融資産とは違う市場で取引されているため、株価の値動きに影響を受けず、「オルタナティブ資産」として評価されている。特に、資産の防衛意識が高い富裕層には注目されている投資対象である。ヨーロッパを中心とした海外の超富裕層にとっては、アートを資産として扱うのが常識となっている。その意味でも、アートを投資先としたファンドには、日本国内でも一定のニーズが存在していると言える。ただし、アート作品は一度取引すると次の取引までに数十年もの期間が空くことも珍しくない。流動性の低さを考慮して扱う必要があるため、ファンドとして組み入れるアート作品に関しても、その点を踏まえた設計が欠かせない。
本稿ではアート指数の検討の中で流動性の担保を行った。そのため、このアート指数をベンチマークとしてファンド組成すれば、流動性の問題は解決できるだろう。一方で、同一作品が存在しない中で構成を組み替える場合、「除外作品の代わりにどの作品を選べば良いのか」という問題が発生する。
これについては、「一定の基準で選んだ作品群を同一とみなし、その作品群の中から選択する」という考えがある。実際には同一作品ではないが、数理的には同一と扱うことで対応が可能という理論である。
ここでは、具体的なアートファンドの事例として英国鉄道年金基金(British Rail Pension Fund, BRPF)を取り上げ、その特徴を見ていく。
英国鉄道年金基金はインフレヘッジとして、1974年から1980年頃まで、約2,400のアート作品への投資を行っていた。アートの購入と売却は主要なオークションハウスであるサザビーズを通じて行われ、サザビーズは無償でアドバイスをしていた。英国鉄道年金基金の投資は、1970年代の17%もの高インフレを背景に行われたもので、現代のアートファンドと比較すると以下の特徴がある。
最終的には、当時の基金の保有資産約3%にあたる約4,000万ポンドを美術品の購入に投じた。しかし、1980年代初頭にインフレ連動金貨が導入された後は積極的な投資の方針を転換し、保有していた作品を売却した。そして、1987年から1999年の間に年率11.3%のリターンを得ていた。
この事例はアート作品のみで組成されたファンドではないため、本稿で考察しているアートファンドとは少し異なる。あくまで年金基金の投資先の一つとしてアート作品があったという点に対して留意が必要である。一方で、最高品質の美術品をサザビーズを通じて売買した結果、十分なリターンが得られたことやインフレを考慮した運用を行っていたことは、参考にすべき点だろう。本稿では、机上で設計したアート指数を使い、理論的にはアートファンドを組成・運用できることを考察したが、今後は実データに基づいた分析と実際の経済状況を踏まえた研究が必要と思われる。
コロナ禍を契機として国内外のアート市場は環境が大きく変化した。日本においても、オンラインでの取引が増えるなど、少しずつではあるがデジタル化の動きがある。また、オークションハウスの年次報告書を見ると売上の伸びが続いており、アート市場は今後も拡大していく可能性が高いと言える。
しかし、依然として日本ではアートは鑑賞対象としての側面が強く、なかなか一般には購入対象として扱われることが少ない。趣味としてアートが好まれている環境はあるが、アート市場が育っていないため、活躍しているアーティストの海外流出や本来活躍すべきアーティストが生活のために他業界に流れる状況にある。この状況を打開して文化として今後も育てていくには、アート市場の醸成が欠かせない。
本稿もその問題意識の下、その打開策の一つとして、アート指数という、日本ではまだ例の少ないアートの価値を解釈するためのツールを提案した。アートをデータという切り口から捉えるという取り組みだ。難解に見えるアートの価値を一定の基準から読み解く道しるべを提示して、親しみやすくする意味でもアート指数は適していると考える。
また、アートの購入方法の一つとしてアートファンドという形式の可能性を提案した。課題となる対象資産のアート作品の流動性は、それを考慮したアート指数を利用することが解決の一つの方法となるかもしれない。アートファンドは通常の金融資産を組み合わせた商品とは異なるため、万人に受け入れられるファンドにはならない可能性がある。先述したように、資産の防衛に熱心な富裕層がリスク分散のために、オルタナティブ資産へ投資する際の対象として検討するというのが、実際に考えられる例だ。しかしながら、アートを一つの資産性商品としてファンドに組み入れることは、資産としてのアートへの注目や理解を得ることにつながると考える。
以上のように、本稿ではアートの売買基準となるアート指数の検討を行い、それを用いた資産となるアートの購入方法の一つとしてアートファンドの提案を行った。本稿を通して実現に向けた第一歩となる課題を提示して考察してきたが、実際にそれらに対応しながら、アート指数の開発とアートファンドの設定を具体的に進めている。
リリース前のため現時点で詳細を公表できないが、アートと金融の業界を超える挑戦的な取り組みとなっている。個別にアート指数やアートファンドについて説明することは可能であり、是非忌憚のないご意見を頂きたいと考えている。
ご興味がある場合、下記のエートーキョー株式会社のContactページからお問い合わせください。
▶︎エートーキョー株式会社 Contactページ
https://atokyo.jp/#contact_name
▶︎株式会社QUICK
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